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ガザでのランティシ氏暗殺――目撃者による経緯の詳細
2004年4月18日(日)


ガザ:ガザの地元住民は、市内で爆発音が聞こえた途端、多くの人が驚いて尋ねた。 どこで、誰が、なぜ、というように。ほどなく緊急ニュースが入り、アパッチ・ヘリコ プターがランティシ氏暗殺を企ててミサイルを発射したと伝えた。ランティシ氏はガザ 地区で、新たにハマスの指導者に指名された人物である。ランティシ氏はガザ市のシ ファ病院で手当てを受けているという話が口伝いに広まった。10分後、病院のパレスチナ保健省関係者がランティシ氏の死亡を正式に発表した。

ガザの南、ハンユニス出身で56歳の小児科医師は、ハマスの新指導者に3週間前に選 出されたばかりで、それはハマスの創始者アフマド・ヤシン氏が先月3月22日に暗殺さ れた直後であった。

偶然ミサイルが車に命中したのに居合わせた目撃者たちは、ランティシ氏の最後と二 人の同伴者について説明した。
「私たちが店の前に座っていたら、急に強烈な閃光と騒音とともにミサイルが着弾し ました。それがどこから来たのか分かりませんでした。幸いにも私たちの給水タンクの トラックが目の前に駐車していたので、私たちは助かったのです」。
蒸留した水を、飲料水として販売する店のオーナー、サミール・ムサビーさん(35 歳)はそう説明した。地元住民によれば、ランティシ氏は2人の人と共に白のスバルに 乗っており、そのうちの一人は彼の息子である。サミールは、こう続けた。
「私は炎上した車が15メートルほど吹き飛ばされるのを見ました。私は消火器を取り に、あわてて家の中へ入り、燃えている車に駆けつけ、火を消そうとしました。最初私 は、車の中には二人しかいないと思いました。つまり、ドライバーと助手席の人です。後部座席の3人目は見えませんでした。その後、弟のハリム(31歳)が水タンクのホース を持って手伝いに来てくれて、それを全開にして大量の水を撒きました」。

ハリームは彼がどのようにして大きいホースを爆撃された車まで引っ張ってきたか説 明した。「車についてすぐ、私は誰かが後部座席に横たわっていることに気づきまし た。そのとき炎は車の周りすべて囲んでいました。それから私は叫びました。『ランティシ氏だ』。皆がランティシ氏を助け出せと叫びだしました。私は彼を囲んでいる炎を消 そうと大量の水を彼に向けて放水しました。彼に息があることを見て取ることができま した。しかし、炎は激しく、車のなかにいた人たちはミサイルのとてつもない衝撃を 被っていました」。

ランティシ氏を実際に車から引き出したある男性は、何が実際に起こったのか説明し た。52歳の年老いた男性、ナヒドさんはこう語った。「私は彼を見て、彼の顔と眼鏡だと分かりました。ミサイルが、落ちたときその通りの電線を切ったから、あたりは暗 かったです。私は彼を車の外に出すために押しました。彼の肩をつかんで懸命に押しました。3人のほかの男たちが手を貸してくれて彼を外に出すことに成功し、そして通りの反対側に連れ出しました。それから、近所の男性が、彼の白い車を運転してきてランティ シ氏を病院へ連れて行きました。」

ナヒドさんは続けた。「私は2人のほかの乗客を見ました。ランティシ氏の息子はす でに死んでいて、彼の体は車の右側に横たわっていました。運転手は息を引き取る直前 でした。彼が指を差し、かろうじて[イスラムの]信仰告白を述べるのを私は見ました(信仰告白とは、運転手が発した言葉「アッラーの他に神はなく、ムハンマドはその使徒である」を示す)」。ナヒドさんは悲しそうだったが、一時間前には現場のただ中にいたわりには、かなり緊張が解けたように見えた。彼は起こったことを思い返しながら話 した。「幸運なことにその通りにはほとんど人がいませんでした。神が、亡くなった方 に情けをかけてくださったのだろうか?ランティシはシャヒード(殉教者)です。」

ヤーシンの死後、およそ3週間前、ランティシは記者会見を開き、そこで彼は、おそ らくイスラエルは彼のことも暗殺しようとしているだろうと言った。ランティシは相変 わらず挑戦的であり、イスラエルに対して、占領を止めなければ私は占領を止めさせる ために喜んで死ぬだろう、と挑んでいた。あるヨーロッパ人のジャーナリストが直接的 に「あなたは死を恐れますか?」と尋ねた。ランティシ氏は少し間をあけ、頭を右に傾 けて尋ね返した。「あなたは死を恐れますか?」それから続けて「死は一つです。癌で 死んでも、アパッチで死んでも。しかし、私はアパッチで死ぬほうがいい。」と話し た。

そして、ランティシ氏は、ちょっと失礼しますと言って、その場から立ち去った。

B・サーメド
2004年4月18日、ガザ

→英語原文



パレスチナの地元住民はランティシ氏の爆破された車に集まった。その通りは、アパッチ戦闘ヘリからミサイルが撃ち込まれたガザ市の住宅地にあるラバビディ・ストリートだった。


子供がひとり爆破された車の現場を見つめている。イスラエルのアパッチがランティシ氏の車にミサイルを発射した直後のこと。地元住民は犠牲者を病院に搬送した後、地面の血と燃えかすを除去していた。


「果敢な抵抗と戦闘の継続の決定」
あるパレスチナの若者は現場で暗殺の直後、多くの人々と一緒にヴイサインをした。



激しい怒りの声
 ランティシ氏がイスラエルのアパッチ戦闘ヘリのミサイルで暗殺された通りに集まった人々の光景。




反シャロン、反ブッシュの叫びがガザの至るところで、ランティシ氏暗殺のニュースが打ち切られて即座に噴出した。住民の怒りが今度はブッシュに向けられていることが鮮明になった。パレスチナ人はブッシュがシャロンに公認を与えたと考えている。


この店にいた地元住民が最初に、ランティシ師が乗っていた爆破された車に救助に駆けつけた。それが通りの向こうで起こったすべてだ。その直後、彼らはテレビニュースの前に立ちランティシ師の容体の最新情報を聞いていたが、その目の前で彼の死が発表された。


ガザ市の通りでの恐ろしい光景が人々を街頭に駆り立てており、タイヤを燃やし、「イスラエルによる暗殺という卑怯な行為」に抗議している。人々はさらにシャロンの「野蛮な暴挙」を支援するブッシュに憤激の声をあげている。


ガザで暗殺されたハマスの指導者ランティシ氏は2004年3月25日に行われた最後の記者会見で死を恐れるかという問いに以下のように答えた。「死は同じです。癌で死のうと、アパッチによって死のうと。私はアパッチによって死ぬほうを選びます」。






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