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ラファーで見捨てられた人々 2001年8月6日(月)テントの横の道端に座って、アブ・リブダは、再び難民となったばかりの仲間とお茶を飲んでいた。世界は我々が抑圧されていることを知っているのだろうか?世界は本当のテロリストが誰なのか知っているのだろうか?アブ・リブダ氏は尋ねた。今では、彼は、彼の家を失い、テントとともに歩道に取り残されている。 アブ・リブダは、これまで、賃貸だった家を買い取るために、15年間いかにして、お金を貯めてきたか説明した。彼は、15年間家賃を払い続けた後、2000年の8月に大家からその家を買った。その家はエジプトの国境とラファ市の間に位置していた。彼は言った。「彼らは、自分自身の家に住むということがどのようなものか実感する充分な時間さえも与えなかった。」 ラファ一帯は、ユダヤ人入植地と軍事基地に接しているため、いつも問題が起きていた。インティファーダの前でさえ、私達は、決して平和を知らなかった。フェンスの近くで私達の子ども達が遊ぶたびに、兵士は彼らに向けて発砲し、殺すぞ、と脅かしたものだ。時には、彼らは催涙ガス弾を撃ち、子ども達を怖がらして追い払うためにマイクで叫んだものだ。以上のように7人の子どもの父親であるアブ・リブダは言った。 アブ・リブダにあわせて、多くの人々がインティファーダが始まって以来、いかに彼らの生活が劇的に変わったかを説明した。彼らは国際社会と不公正な世界の仕組みに裏切られたと感じている。(ミサイル攻撃によって)最近難民にさせられた彼らには、どうして国連や他の国際機関が多国籍監視軍を彼らの町に派遣しないのか、理解できない。 アブ・リブダの隣に座っていたもう一人の難民は言った。「私はどうして、イスラエル兵がここに来るのか分からない。ここは私達の家です。兵士はどこであろうと、来た場所に帰るべきです。そうすれば、問題は起きないでしょう。」 アブ・リブダ氏とその友人達に会った翌日(8月4日)、イスラエルのヘリコプターがラファ市の警察署にミサイルを撃ちこんだ。爆撃された場所はアブ・リブダのテントからたった300メートルしか離れていなかった。 2001年8月6日 B.サーメド →英語原文
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