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新しい転換点         2001年8月26日(日)


日曜日の今朝、5時ごろ、大きな爆発がガザの街を揺るがした。ほとんどの人びとが寝ているとき、その突然の大爆発によって人びとは暴力的に目を覚まされた。それは、街の中心部にある警察署にミサイルを打ち込んだF16だった。いくつかの店(物語?)からなる建物全体がジェット機によって崩された。

四方にガラス片が飛んだ近くのビルでも被害は甚大だった。道を隔てた、アズハル大学の窓も同様に吹き飛ばされた。

私は、なんて大きな音なんだ、と驚いて目を覚ました。驚いたことに、住民たちはすでに外に出ていて、頭上を飛ぶF16を追って、空を見上げていた。ジェット機は低空を飛んでいた。そしてひどくうるさかった。次の街、デイル・アル=バラを攻撃する爆発音が聞こえた。ジェット機は、ガザ市から15キロほど南に位置している、その街にミサイルを打ち込んだ。

8月25日は、イスラエルにとって、とりわけ軍事的な意味で、悪い日だった。土曜日の早朝3時に、3人のパレスチナ人戦士が、難攻不落の軍事拠点への進入に成功した。ハンユニスとラファ出身の3人の若い戦士が、ガザ市の25キロ南、ハンユニスとラファの間にある前哨部隊を攻撃した。この2箇所は、主にイスラエルの入植地があるという理由によって、このインティファーダの期間を通じて、最も激しい抵抗の拠点となっている。3人のパレスチナ人は、鉄条網、セメントブロック、上から狙っている戦車と機関銃を、潜り抜けて、軍事拠点に入り込むことに成功した。中では、掴み合いも含めた非常に接近した距離での戦闘が行われたというレポートがある。3人のイスラエル兵があっという間に殺され、他に数名が負傷した。一人のパレスチナ人が拠点の中で射殺され、二人目の戦士は負傷した後、入植地が所有する温室の中で発見され、殺された。3人目のパレスチナ人は脱出することができた。この作戦は、イスラエル軍に一撃を与え、その面目を失わせるという以上のものにはなりえない。

2000年9月のインティファーダ開始以来、入植地は、軍事衝突の舞台となり、またガザ回廊の住民に対する挑発的暴力の源となってきた。イスラエルの入植地によって、120万人のパレスチナ人のなかで、2〜3000人の非合法の入植者が生活している。入植者たちは、ガザ回廊の土地全体の40%を占領している。彼らはまた、ガザ回廊のなかで最も大きな水源の上に入植地を建設している。

昨日の軍事拠点への攻撃は被占領地における人民戦争の新しい幕開けを記した。イスラエル軍は、拠点に乗り込んだパレスチナ人戦士の勇気と的確さについて、極度に警戒している。軍の指揮官たちにとってショックだったのは、これらの戦士達が、隠れて見えないと思われていた軍に、これだけの損害と侮辱を与えることができたとということである。

イスラエルが、寝ている市民に対して、F16を用いてこれだけ迅速かつ暴力的に反撃したのは、このためである。パレスチナ人戦士が用いたその戦術は、ヒズボッラーが南レバノンからイスラエルの占領を一掃する戦いのときのものに似ている。これは、疑いなく、現在のインティファーダでの出来事の流れにおける転換点である。これまで、このような戦術が使われたことは決してなかった。それは、新しく、その性格はヒズボッラーにとても類似している。イスラエルは新しい、パレスチナ人の抵抗のあり方に対して、極度に警戒している。それは、彼らに、南レバノンにおけるヒズボッラーの攻撃と紛糾を思い起こさせる新しい現実である。それは、来るべきより脅迫的で試練となる日々についての、軍隊い取り憑いた記憶である。

2001年8月26日


→英語原文



ガザ市のモスクから出るB・アル・グールの遺体。彼は8月22日、イスラエルのアパッチ・ヘリコプターから発射されたミサイルによって暗殺された。
8月23日、ガザ

何千人もの人々が、「殉教者の隊列」に新しく加わったパレスチナ人の葬儀に参加した。
8月23日、ガザ市


葬儀の間、イスラエルへの復讐を誓い、銃と拳を振りかざすパレスチナ人の兵士
2001年8月23日、ガザ





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