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是認された暗殺政策 2001年8月27日(月)今日、パレスチナ人は、PFLP(パレスチナ解放人民戦線)のリーダー暗殺のニュースを聞いて、衝撃を受け、激怒した。アブ・アリ・ムスタファがラマッラーにある彼の事務所にいるとき、アパッチ・ヘリコプターが発射したミサイルに直撃された。彼はその場で死んだ。 たまたまビルの中にいた他の市民は負傷した。この殺人は8月27日月曜日の正午ごろに起きた。 アブ・アリ・ムスタファの暗殺によって、イスラエルは、はじめてトップ・リーダーを殺害したことになる。彼はPLOの創設者のひとりだった。この殺害は、暴力の拡大への一線を越えることを意味するものであり、パレスチナ人にとってひどく動揺させられることである。アブ・アリ・ムスタファのような優れた指導者が冷血に殺されるということは、次はアラファトかもしれないということを意味する。パレスチナ人が、重要な民族的指導者に対するこの卑劣な攻撃が暗示する危険性をどのように見ているかというと、こういうことなのである。 パレスチナ人はすでにアメリカ合州国に、その非難の矛先を向けてきた。二日前、ブッシュ大統領はパレスチナ人に対して、恐ろしく偏向した声明を出し、シャロンのパレスチナ人指導者に対する暗殺政策を励ました。ブッシュはパレスチナ人の抵抗戦士をテロリストと表現し、アラファトはそれを止めさせるために何もしていないと非難した。 もし、イスラエルが公安施設を破壊し続けるのであれば、アラファトは、ブッシュが言うところのテロリストをどこに収容するというのか? パレスチナ人にとって、ブッシュが二日前(8月25日)に出した声明は、シャロンにとって、アメリカ製ミサイルと爆弾をパレスチナ人たちに向けて発射してよいという許可を意味した。また、2、3日前にアメリカは、被占領地に状況を視察するための国際監視軍を派 遣するためのいかなる国連決議に対しても、拒否権を発動するという脅迫を行なった。イスラエルと合州国はその案に対して頑として拒否している。パレスチナ人は、世界に対して、イスラエルによる虐殺を、直接、来て見てほしいと思っている。合州国によって、もう一つの政治への失望がパレスチナ人のフラストレーションに追い討ちをかけている。 アブ・アリ・ムスタファは1999年にPFLPの最高指導者になった。彼は、63年前に、ジェニン(西岸)の近くのアッラバーという小さな町に生まれた。50年代初期に彼はアラブ民族運動に参加した。それは第3次中東戦争の敗北のあとにPFLPと改名された。アブ・アリは70年代中盤から1999年まで、運動の創始者であるジョージ・ハバシュ博士に次ぐ副代表の地位にあった。 1999年、亡命生活を終えて、パレスチナに帰還したとき、アブ・アリは、長年留守にしていた彼の故郷について回顧した。彼は、次のように彼の帰還について表現した。私は幸せだが、同時に悲しい。私は、幸せです。なぜならば、故郷で再び同胞と共にあり、占領に対して戦い、共に抵抗の隊列に加われるからです。そして私は悲しい。なぜならば、わたしたちの目的はまだ実現していないからです。最大の目標は、難民が故郷に帰還し、1948年に盗まれた財産を取り返すことです。 この記事を書いている今、ガザ市の市民がみんな通りに出て、アラファトの事務所の前には何万人もの人びとが集まっている。信じられないほど多くの、怒れる者たちが、重要な民族指導者の暗殺を弾劾している。 聴衆に向かって地元の発言者が大きな声で言った。アブ・アリの殺害は抵抗の精神をより深めるだろう。たとえ彼らが、一人の指導者を殺そうと、二人、いや20人殺そうと、我々は降伏しない。これまでにも指導者が殺されてきたが、パレスチナの民衆は闘争を継続する。パレスチナ人は、彼らの血と革命思想、大義を捧げるだろう。それは、我々の心に深く刻まれた使命である。 2001年8月27日 →英語原文
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