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シャロンの本当の意図       2001年12月5日(水)


ここのところ、被占領地のパレスチナ人の感情は社会全体を通じて、以下のように言うことができる。

ほとんど全てのパレスチナ人は、今、(シャロンの)このイスラエル政府は和平を構築することに関心がないということを確信している。
シャロンはこれまでも和平に賛成したことはなかった。シャロンは、「移送」というシオニズムの理論を支持していることで知られる。それは、パレスチナ人をヨルダンに追い出すというものである。シャロンが信じているのは、ヨルダンはパレスチナ人の故郷の代替だということである。これが、パレスチナ・イスラエル紛争の将来に関する、彼の考えと見通しにおける枠組みである。

シャロンは、個人的にアラファトを嫌っている。彼は議長としてのアラファトを含め、将来のパレスチナ国家のあらゆる可能な象徴を破壊したいのだ。パレスチナ人はシャロンが存続可能なパレスチナ国家のあらゆる産業基盤を破壊しようとしていると思っている。シャロンはアラファト議長に対する糾弾と中傷を公言しているが、ここ被占領地の民衆は、それが単なる外見に過ぎないことを知っている。シャロンの声明の背景には非常に深くされた意図がある。彼は、シオニストの鉄と血の理想とを実現しようとする長い歴史を持ったシオニズム運動の創設者の一人である。彼とその同類にとって、単純にパレスチナ人は存在せず、パレスチナは民なき土地であり、土地なき民のためにある。

実現可能なパレスチナ国家に関して、より多くの議論がなされ、国際的な水準でより現実的なものとなりつつあるため、シャロンはとても落ち着かず苛立っている。したがって、エルサレムとハイファにおける先週の爆弾事件は、彼にとって、これよりより良いタイミングはなかっただろう。それは、被占領地と、そして、この地域における大変動と不安定要素を創り出すために、エルサレムとハイファでの爆発をを利用するために彼が待ち望んでいた贈り物だったのだ。

シャロンは、アブ=フヌド氏のような著名なハマスの指導者を暗殺することが何を意味するのか良く知っていた。シャロンは一週間前に西岸でアブ=フヌドの暗殺することを命令した。過去の例を考慮すれば、イスラエルは、もし彼らが一人のハマスの指導者を撃ち殺せば、ハマスはイスラエルに重い代価の返答をするであろうということを確実に分かっている。だから、シャロンはアメリカの使節の到着のたった一週間前にアブ=フヌド氏の殺害のタイミングをあわせたのだ。彼は、いかなる可能な和平交渉のわずかな実現でさえも駄目にするためにハマスの攻撃を期待していた。

ガザ地区では、過去2週間、人々は、何の挑発もせずに、ひどい恐怖のもとで生活していた。イスラエル軍の戦車による砲撃と暗殺のやり方に驚く人もいた。この2週間にパレスチナ人は60人の命を失い、数百人が負傷している。もっとも心の痛む出来事は、ハンユニスで5人の児童が登校中に彼らの家のそばで殺されたことだ。このことは、イスラエルの占領と侵略行為に対する、すでにある怒りに、さらに火を付けることになった。5人の少年たちの葬式の行進の間、地元の人々はスローガンを叫び、復讐を求めた。人口18万人のハンユニスの住民全てが通りに出て、イスラエルによる少年たちの冷酷な殺人に対する一面の怒り以外の何物でもない雰囲気のデモに参加した。

今日、12月5日、イスラエル兵が、ガザ市とハンユニスの間にある大きな軍事ブロック(訳注:チェックポイントのことでしょう)で、一台のタクシーを止めた。兵士たちは、三人の男たちに、冷たい雨の中が降るなか、服を脱ぐよう命令した。今日の天気は、雨が強く、寒かった。イスラエル兵たちは、3人の裸のパレスチナ人の若者を水溜りのなかに連れて行き、そこに、そのままいるように言った。私の友人が後ろのタクシーにいて、全容を目撃し、そのとき、私に電話をして、兵士たちがパレスチナ人の通勤者に対して何をしているのかを、恐怖の中で伝えてくれた。

B.サーメド


→英語原文



今日、12月5日、ガザでは激しい雨がイスラエルの攻撃を遅らせたのかもしれない。

ガザ市の大通り(オマル・ムフタル通り)にあるアラファトのポスター。「私の夢はエルサレムなくしては終わらない」
2001年12月5日

パレスチナの旗の色をした傘を持って、タクシーを待つ母子。
12月5日


ウェフダ通りのパレスチナの旗を売っている店。
2001年12月5日






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