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ハンユニスへの新たな攻撃       2001年12月12日(水)


昨晩、12月11日、イスラエルはハンユニスに対して、これまでにないミサイル攻撃に乗り出した。

地元筋の情報によると2機のアパッチヘリコプターが、ハンユニス難民キャンプの西部にあるデニッシュ・クオーターと呼ばれている地区の何箇所かに、ミサイルを打ち込んだ。

ミサイルは住民を直撃した。3人が瞬時に殺された。地元にあるナセル病院と報道官(訳注:自治政府の報道官か?)によると、さらに二人が病院で死んだ。そして、20人以上が負傷し、そのうち4人は危篤状態である。アパッチヘリによる攻撃は、 以前デンマーク政府の大型援助プロジェクトによって建てられた周囲の建物に甚大な物的損害を与えた。

犠牲者の数が多い理由は、攻撃のタイミングによるものである。多くの人々が、数分前に礼拝を終えて、モスクを去ろうとしているところだった。昨晩は、ラマダン月のもっとも神聖な夜だった。それは、陰暦でラマダン月の27番目の夜である。その夜に、はじめて、預言者ムハンマドにクルアーンの啓示が示された。イスラム教徒は、通常、ラマダンのこの特別なときには、夜の間のほとんどをモスクで祈って過ごす。

デニッシュ・クウォーターに住む友人が、何が起きたのかを私に話してくれた。攻撃の前、状況はとても穏やかだったと彼は言った。挑発のようなものは何もなかった。いきなり、2機のアパッチヘリコプターが現れ、何箇所かの地点に直接9発以上のミサイルを発射した。しばらくしてから、2,3発のミサイルによる2度目の攻撃があった。
また、2台のイスラエルの戦車が入植者の近くから出てきて、パレスチナ自治区の内側まで500メートルほど侵入し、住民に向けて機関銃を発射した。

あっという間に住民は恐怖とパニックの渦中に巻き込まれた。多くの母親や大人たちは子どもを抱えて、アパッチヘリや戦車の砲撃の下を逃げまどった。
今日、ハンユニスの街は、心底の悲しみと怒りに包まれている。この殺人行為はイスラエルに対する人々の怒りに火を付けるだろう。このような恐ろしい攻撃を引き起こすような(パレスチナ側の)挑発行動がなかったのだから、なおさらである。

殺されたのはアブ・シッタ家の二人の兄弟、サイード・シッタとイサイド・アブ=シッタである。3人目の名はアブ=アラムという。

多くの地元のパレスチナ人は、これがシャロンによって犯された犯罪であると考えているが、残念なことに世界のメディアは、注目もせず、大きくニュースで取り上げることもない。住民の間では、世界はイスラエル人に対する報復攻撃が起きたときのみ、大騒ぎし、誇大宣伝をするものと思われている。この間、本当に恐ろしいことは、このような、不法の占領軍によって犯された犯罪である。

多くのパレスチナ人がかんがえるように、世界と国際社会は正義と国際法の諸原則における最低限の要求に対してさえも、偽善と無関心のなかで、身動きがとれずにいる。

2001年12月12日

B.サーメド


→英語原文



2001年12月6日のミサイル攻撃によって、ガザの空は煙に覆われた。

2001年12月10日、ガザ市

パレスチナでよく読まれている日刊紙、アル-アヤムの第一面には、赤の白抜きで「ハンユニスの虐殺・・・5人が犠牲となり、20人が負傷」とある。左の方には12月10日にヘブロンでイスラエル軍に殺された二人の子どもの写真が掲載されている。
2001年12月12日






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