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F16戦闘機とともに生きる       2001年12月13日(木)


12月12日は、おそらく、ガザ市民にとって、これまでで最悪の日として常に記憶されるであろう。5時間以上にわたって、イスラエルの戦闘機F16が街の中心部にある標的に向かって継続的な空襲をおこなった。人々は、一晩中起きていた。というのも、戦闘機が恐ろしい騒音で低空飛行をして、爆弾を落とし、その衝撃波が、女性や子ども、他の市民の心臓を恐怖で凍りつかせたからである。F16戦闘機が空に現れ、街に向かって来るたびに、ジェット音が次第に大きくなり、突 然白い大きな閃光が見え、続いてすぐに強烈な爆音が聞こえる。その 強烈さは、一キロ以上距離があっても、冷たい空気が暖かく変わるの が分かるくらいである。凄まじい恐怖だといったところで、この瞬間 は、どんな言葉でも正確に言い表すことはできない。

時間は午後9時半ごろだった。私は、ガザ西部の海岸沿いにあるレス トランで、とても親しい友人のアメリカ人の送別のために友人たちと ともにいた。私達が会話を楽しんでいるそのとき、F16戦闘機の音が 聞こえた。すぐに私達は、シャロンが攻撃をしようとしていることを 理解した。しかし、誰も、攻撃が、あれだけ長く、徹底して行われる
とは予測しなかった。私たちが、駐車場に行こうと、レストランを出 た、そのとき、2機のジェット機が低空で現れた。1分もしないうち に爆音が、その地域を揺るがした。標的はアラファトの本部事務所の ある地区だった。それは私達が立っていたところから500メートル ほどのところだった。頭上の戦闘機を見ながら、最初のうち、私達は
何をしていいのか分からなかった。戦闘機はすぐ近くにおり、標的と なっている地域は海岸沿いの道路で、私達はその中心部にいた。私達 は、この特別の場所から逃げ出そうと、車に乗り込んだ。友人の一人 が、寒い天気にも関わらず、車の窓を開けておくように忠告した。爆 発の圧力によって、車の窓ガラスが割れるかもしれないからである。

1キロほど走ったとき、もうひとつのミサイルが近くに当たった。私 達は車で公園に突っ込み、車を置いて建物の影に逃げ込んだ。そのと き、誰も、まったく動くことができなかった。危険はすぐ近くにせま っているようだった。私たちは、どうしようもなく立ちすくみ、空を 眺め、信じられないほど強力な爆発が付近で2,3分置きに起きるの
をただ聞いているしかなった。30分後に、ジェット機は数分間姿を 消した。私達は、明らかに最も攻撃を受けている海岸地域から離れる ために、移動する機会だと考えた。車は、ガザ市の東部に向かって枝 道を疾走した。2キロほど走ったとき、空に白い閃光が見え、当然爆 音が続いた。しかし、今回の衝撃音はこれまでよりも小さかった。標
的となっている地域からやっと抜け出したことを知り、私たちはため 息をついた。ついに私たち全員は無事家に帰ることができた。

その晩はその後も、一晩中私は街が爆撃されるのを見ていた。ミサイ ルが着弾するたびに、標的の上空に一瞬で煙が立ち込めた。この光景 は何度も何度も繰り返された。

最後のジェット機は、午前3時45分ごろにガザの空から飛び去った。 私たちは、ジェット機が戻ってくるかもしれないことに怯えて、寝ず にいた。私は、飛行機が飛び去ったと確信できるまで、もう一時間待 った。
殆どの人々は、新たな日を迎えるまでに、2時間ぐらいしか寝ること ができなかった。

2001年12月13日

B.サーメド


→英語原文



ガザ市にあるパレスチナ立法議会の建物のそばで遊ぶパレスチナの子ども達。ガザのなかの何箇所かへのF16による空爆が長く続いた日の次の日。

ラマダン中のイフタル(日没後の時間)の直前にパンを作る。昨晩、人々はイスラエルのF16戦闘機によって長時間にわたり大規模なミサイル攻撃を受け、これまででも最も恐ろしい夜を過ごした。





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