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イスラエル軍、ガザ市に過去最大の軍事侵攻
2003年1月26日(日)


ガザ市:ガザ市に対して、現在のインティファーダが始まって以来、最大規模の軍事侵攻が行われた。イスラエル軍は、1月25日の晩、過去最悪といえる攻撃を行い、人々を殺害し、負傷させ、家屋と地場産業のインフラを破壊した。

目撃者によると、約100台の重装備の戦車が、ガザ市から5キロ南にあるネツァリーム入植地とガザ市東部のカルニ検問所付近からやってきて、ガザ市の南部と東部を攻撃した。

午後10時半ごろ、ガザ市の下町に、低空飛行する何機ものアパッチヘリコプターに伴われ、戦車部隊が現れた。この攻撃を住民は予期していなかった。一人の若いパレスチナ人は侵攻の初期段階の様子を次のように語った。「私は兄弟姉妹と一緒に家でテレビを見ていました。すべては平常通りで平和に見えました。私が別の部屋に行こうと起き上がったとき、家の目の前に一台の巨大な戦車がいるのに気付きました。私は最初それを信じることができませんでした。砲口は、その多くが車の修理屋である、商店の並びを狙っていました。突然、戦車は、[私から?]逆の方向に向かって、戦車砲と重機関銃を撃ち出しました。私は世の中全てが火に包まれたように思いました。」

続く2時間ほど、アパッチヘリとともに、戦車は市南部のザイトゥーン地区と東部のシジャイヤ市場に対して砲撃と銃撃を集中させた。パレスチナ人の若いレジスタンスが、戦車の侵攻を必死に止めようとしたものの、アパッチヘリが上空から機関銃射撃を浴びせた。時折、アパッチヘリに向けて地上から発射される銃撃の赤い軌跡が見られたが、命中はしなかった。即座にアパッチヘリは、はるかに激しい爆音を伴って、銃撃し返し、密集した住宅地に破壊と恐怖を巻き起こした。

この攻撃はガザ市に対する最大の侵攻だと考えられており、戦車は市中心部あるいは市役所からたった100メートルまで迫った。一帯の多くのモスクは若いレジスタンス達に、拡声器で、ザイトゥーン地区とシジャイヤ地区に集結し、人々を防衛し、戦車の侵攻を防ぐように呼びかけた。通常、イスラエル兵は戦車のなかにいる。殺されたパレスチナ人の若者の多くは上空を飛んでいたアパッチヘリによって撃たれていた。

次の日、パレスチナの保健機関によると、13人のパレスチナ人が殺され、65人が負傷したという。多数の商店や家屋、大きなビルまでもが破壊された。金属加工の工場や自動車の修理工場が最も大きな被害を受けた。

自動車のスペア部品を作っていた、ある小さな工場のオーナーは、「これは、生活とインフラ、我々の経済そのものの破壊だ」と言った。シャロンが、こうした工場で爆弾やミサイルが作られていると主張しているのに対して、45歳のこの工場主は次のように語った。「私たちが何をここで作っているのか、誰でもここに来て自分の目で確かめればいい。私たちは子どもたちのために生活費を稼ごうとしているんだ。それぞれ、家族を抱えている4人の従業員もいる。かれらはこれからどこに行ったらいいんだ。私は国際社会に対して言いたい。戦車とアパッチヘリを送り込んで破壊と殺人を犯す人間と日々なんとか生計を立てながら暮らす人間と、いったいどちらがテロリストなんだと。」

別の工場主は、かつて自分の小さな工場であり、収入源であった残骸の横で石の上に座り、見るからにうろたえ、打ち沈んでいた。彼はなんのコメントをすることも断った。彼の19歳の息子が、立ち上がり、彼と彼の父親が今朝仕事に来て、工場が爆破され粉々になっているのを見つけたときの様子を説明してくれた。ユニスという名の若者は、「我々は別の地域に住んでいます。そして、ご覧の通り、工場は壊れた機械と瓦礫の山になってしまいました」と言った。若者は、憤懣やる方ないといった様子で、父親の方を見てから、こちらに振り返って次のように言った。「私は今の感情を言い表すことができません。これは私たちの生活と未来の破壊です。シャロンとイスラエルは世界に向けて嘘を並べ立てるでしょうが、彼の目的は私たちを根絶やしにすることなんです。」

B・サーメド
2003年1月26日、ガザ市


→英語原文












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