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7月10日のラファー 2001年7月18日(水)この2週間ほど、イスラエル軍と入植者達はパレスチナの都市や村、農場への卑劣な攻撃を繰り返している。もっとも暴力的な攻撃の一つが、7月10日、ラファのエジプトとの国境のフェンス付近で起こった。その地域の住民は戦車とブルドーザーの音で目を覚ました。ある場所―サラディン・ゲート―ではイスラエルは26の家屋を破壊した。今ではこれら126人の人々はラファの下町の中心部でテント暮らしをしている。UNRWAと赤十字(三日月?)がテントを提供した。多くの年寄りが、今回で3回、難民になる経験をしたと言った。一回目が1948年、2度目が1967年、そして今回、2001年7月である。 テントの人々は非常に怒っていた。多くの若者はアメリカがイスラエルに武器を与え、国際保護軍の派遣を拒否していることに対して怒りの声をあげていた。これらの人々のほとんどは、イスラエルの虐殺を世界に報告するための中立の調査団の派遣を求めていた。それは、世界が彼らに関心を向けてほしいというメッセージだ。 多くの人びとは、悲劇がすぐに終わることを求めていた。他には、報復として、イスラエル領内でのさらなる自殺攻撃を露骨に求める人々もいた。そうした声を聞いて、若い子ども達は歓声をあげ、口笛を鳴らしていた。 →英語原文
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