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解除されない包囲攻撃
2004年7月21日(水)


今では一月近く、イスラエル軍はガザ地区北部の農村、ベイト・ハヌーン(Beit Hanoun)市を包囲し、「人道主義的な破壊」を引き起こしている。主な道路を軍が戦 車や土嚢で封鎖してしまったので、住民が唯一行き来する道は、砂埃の舞う細い道し かない。住民はその道を裸足か、運が良ければロバや馬の引く二輪車で通らなければ ならない。

その上に、この道を通り町へ行き来すると、周りを包囲するイスラエル軍の戦車か ら、常に狙い撃ちされる危険にさらされる。

国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)や、他の慈善団体のごく限られた 台数のトラックだけがベイト・ハヌーン市へ入り食糧を届けることが許可されてい る。しかし、許可された支援物資の量は、充分と言うには程遠い。UNRWAによる と、7月14日までに、何とか370トンの食糧を市へ届け、2万人以上の人々に食料を配 ることができたが、これは包囲された市の人口のうち3分の2にすぎず、残り3分の 1の人々は食にありつけなかった。

その上、食糧を届けるのに膨大な時間がかかる。

シリア・ムスタファ・ハマド(Sirriya Musutafa Hamad)は60歳で10人の子供の母 親だ。ロバの引く荷台に、地元UNRWA配給センターで得た小麦と油、ヒラマメ、 砂糖や米を載せ走らせる甥に遅れないよう、足早に歩く。「これは、17日間で初めて 手に入れた食べ物なの。息子は全く食料が買えなかったわ。だからこの食料はお金に 換えられないくらい貴重なのよ。」シリアは小麦袋を指差しながら言った。家に着く と、息子たちが小麦袋を家の中に運び込んだ。「みんな、今では午後9時までに家に 帰らなければならないの。なぜなら、9時以降はイスラエル軍が町の中を巡回し始め て、夜中じゅう、銃声がやまないからよ。」と言った。たしかに、最近のUNRWA プレス・リリースは、ベイト・ハヌーン市住民の困難な状況を述べている。「イスラ エル軍が6月28日にベイト・ハヌーン市をガザ地区から分断してから、人々は困難な状 況の中で生活を続けている。新鮮な食料の供給が低くなり、労働者は仕事場にたどり 着くことができない。ある地区ではイスラエル軍が水や電気など生活基盤を破壊して いる。」

4年前にインティファーダが勃発してから、ベイト・ハヌーン市はイスラエル軍に よる数十回の侵攻を受けてきた。パレスチナの活動家が、カッサム・ロケットを市内 から発射するのを妨害するという口実である。一番最近の侵攻は、カッサム・ロケッ トが二人のイスラエル人を殺害した二日後だった。

しかし理由は何であれ、ベイト・ハヌーン市へイスラエル軍が侵攻し行った事は、 主に農村を形作るオレンジの木立をなぎ倒すことだった。ベイト・ハヌーン市当局に よると、最近の侵攻を除く過去の侵攻で、約5000ドゥナムのオレンジなど柑橘類 の木々が植わった土地がイスラエル軍のブルドーザーに根扱ぎにされた。そして、最 近の侵攻では約1500ドゥナムの土地で木々がなぎ倒された。その上、まるでこれ が充分ではないかのように、住民4万人が頼る生活基盤が破壊された。

ベイト・ハヌーン市、市長イブラヒム・ハマド(Ibrahim Hamad)は「すべての水、 電気、電話線が切断され、その上にほとんど下水処理システムも破壊されてしまっ た」という。

ハマドは「町の産業や農業施設も崩壊してしまった。以前、この町から蜂蜜やチーズ などの製品を、他のアラブ諸国へ輸出していたこともあったのに」とつけ加えた。

地元の農民、ハリル・アル・ザアニン(Khalil Al Za’anin)は、イスラエルが「農地 を荒らす」のを止めるという国際的な保障がパレスチナ人に与えられるまで、新しい 木々を再び植えることはないと断言した。「イスラエル軍のブルド−ザーは私の農地 に植わっているものすべて掘り返した」と彼は言う。彼の野菜畑は、一年前にイスラ エル軍が町に侵攻し一月近く留まったときすべて掘り返されてしまった。またザアニ ンは「ザアニン一族だけで約2000ドゥナムの、50家族の収入源である土地を失っ た。」と言った。

軍隊は侵攻でベイト・ハヌーン市の、数十の家を破壊した。20歳のアナ・アハマド ・カルブ(Anas Ahmad Qallub)はガザのアル・アズハル大学で法律の勉強をしてい るが、彼の家は7月12日に破壊された。ベイト・ハヌーン市西の入口近くにある、 破壊された家の瓦礫の中に立てたテントの中に座り、カルブは道行く人を眺めてい る。その高地から町の見晴らしがよかった。町の中に、オレンジの木々の茂みが大き く広がっている。「ブルドーザーは何週間も、木々を引き抜くことを止めなかったん だ。」とカルブは言う。またカルブはイスラエル軍が近所を包囲攻撃する過程を述べ た。その住民に食料を届けたりすることはおろか、中に居る人が怪我をしていない か、確かめる事さえできなかったという。「数日間、近所の家が軍隊に包囲攻撃され た。」とカラブは言った。「最近、赤十字の車がその家の前を通りかかり、家の主が 白旗を振って、注意を引こうとした。するとイスラエル兵が家に押し入って、その男 を殴り倒したんだ。」と彼は言った。

だがしかし、おそらくベイト・ハヌーン市で最悪の攻撃は、全方面を軍に取り囲ま れ、全く一歩も外に出られなった事例だろう。

ウム・サラ・アショール(Um Salah Ashor)は13人の子供の母親で、市の東部地区に住 んでいる。軍隊に完全に家を包囲されているため、彼女は全く外に出ることができな い。電話で話を聞くと彼女は、「私たちは食べものがほとんど底をついてしまいまし た。この包囲がいつまで続くか、誰も分かりません。子供たちに与える食べ物を減ら してまで、なんとか食いつなごうと努力しているのです。」と言った。彼女は数日前 連絡を受け、彼女の実弟が最近の侵攻で殺されたことを知った。彼女はやっとのこと で家を抜け出し、葬式に出席した。「葬式の後、私は家に残してきた子供たちのこと しか考えられませんでした。」とウム・サラは言った。「そして、帰り道に撃たれる かもしれないと恐怖に駆られました。オレンジの茂みをこっそりと潜り抜け、やっと 家に着くことができたのです。」と彼女は言った。

この地域で、いつごろまでオレンジの木立は実をつけ、葉を茂らせることができるの だろうか。

マフムード・ハブーシュ
(2004年7月21日、パレスチナ・レポートより)

→英語原文




ベイトハヌーンの破壊の様子1(2004年6月、UNRWA提供)


ベイトハヌーンの破壊の様子2(2004年6月、UNRWA提供)


ベイトハヌーンの破壊の様子3(2004年6月、UNRWA提供)


ベイトハヌーンの破壊の様子4(2004年6月、UNRWA提供)





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