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エルサレムの生活スタイル         2001年7月22日(日)


東エルサレムのあるホテルの支配人であるジェリエスは、エルサレムのパレスチナ人の経済的、政治的な、そして生活するうえでの困難な状況について長時間にわたって語った。

イスラエルは、私達をゆっくりと窒息させることでアラブ人住民をエルサレムから立ち去らせようとしている。34歳のエルサレム住民である彼は言う。経済は私達にとってますます厳しくなっている。私達のホテルは、この夏だけで50組以上ののキャンセルがあっ た。
この時期(7月)、ホテルはいつもなら満員だ。1998年にはすでに、2001年の夏の予約が入っていた、とジェリエスは付け加えた。

エルサレムで、彼のホテルが人気なのは不思議なことではない。ホテルは、旧市街から1キロほどの、シェイク・ジャラと呼ばれる地域に位置している。有名なオリエント・ハウスは1ブロック先だ。自然の石や大理石の美しい造りで、魅力的で伝統的なアラブの庭が広がっている。

とても感じの良い人物であるジェリエスは、タバコを吸い、伝統的なアラビック・コーヒーを飲みながら、パレスチナ人にとって今エルサレムで生きることがどのようなことなのかを説明した。

市のイスラエル当局は、地元のパレスチナ人住民に対する懲罰の手段を長期的戦略としていつも 用いる。ジェリエスは腕を持ち上げて彼らは私達を町から立ち退かせようといつも必 死だ。彼が言うには、二つの最も大きな問題は、重い税金と建築許可の不発行だ。エルサレムの住人に 話す機会があれば、多くの人が税金の話題を語り、それについて文句を言い続けるだろう。例えば、パレスチナ人の店主が税金を払い遅れれば、軍隊に付き添われたイスラエル 内務省の役人が店を襲撃して商品を没収し、ついには店を潰してしまう。その行動は迅速であっという間 のことだ。

建築許可を得ることはほとんど不可能な手続きだ。許可料は8万シュケルもかかる。 それは、19,400ドルに相当する。これは、パレスチナ人が家であれ何であれ、建てるにあたって、イスラエル当局に払わなければならない申込み料に過ぎない。旧市街の外の東エルサ レムでは、地価は天文学的である。1000平方メートル(1ドナム)あたり、500万ドルも する。地元のパレスチナ人にとって、そんな値段はどうみても不可能だ。ジェリエスは、皮 肉なそぶりで、次のように言った。彼らは、あなた(パレスチナ人)の夢を壊したがっている上に、 あなた自身の家を得る夢まで見ている。

ラマッラー市はエルサレムから北へ車でたった20分ほどのところに位置している。マラッラー(その全てではない)は、パレスチナ人の管理下にある。もちろんそこでは、建設許可は得やすい。ラマッラ―とエルサレムの境界は、アル=ラムと呼ばれる地域 である。そこには、大きなイスラエル軍の検問所がある。20分のところが2、3時間かかるこ とも 毎日通勤する人にとって、おかしなことなことではない。兵士が通行人の身分証を チェックし、 中には、もと来た方向に帰るよう命令されるパレスチナ人もいる。

アル=ラム・エリアは、ラマッラー側のパレスチナ管理地区とエルサレム側のイスラエル管理地区の二つの世界に引き裂かれている。境界付近のエリアは、家やビルが建って きている。パレスチナ人の親戚や隣人が住むイスラエル管理下のアル=ラム地域は、埃だらけ で、無視されており、意図的に未開発のままにされている。数年前、パレスチナ自治政府への主要なドナー国が二つの市を結ぶ古くでこぼこの道を改装する申込みをしたが、イスラエルは拒否した。

パレスチナ人のエルサレム住人にはブルーIDと呼ばれる身分証が発行される。それによって、彼らは、エルサレム地域内のみのイスラエル行政管理下の住民として西岸の他のパレスチナ人から区別される。もし、パレスチナ人のエルサレム住人が長い期間、町から離れると、身分証は剥奪される。あるイスラエルの法律によれば、たとえ、彼がそこで生まれ、ずっと暮らしてきたとしても、彼の居住権は自動的に否定されてしまう。

ジェリエスは、ガザの人と結婚し、ガザ市で暮らしている妹(姉かも?)の話に触れ た。
彼がいうには、妹は1991年に結婚し、それ以来ずっと3ヶ月ごとにガザへの滞在許可 を申し込まなければならない。彼は、主張を効果的に強調しようと、目を吊り上げて言う。考えても見てくれ。彼女 は許可を更新するために3ヶ月おきにエルサレムに戻ってこなければならない。もし彼女が遅れれば、たちまちのうちに、もはやエルサレム住人とはみなされなくなる。この現代の法律上の狂気を笑って、エルサレム人はジョークを飛ばした。おそらく彼らは彼女が我々の妹 (姉)で あることをやめさせたいのだろう。彼が言うには、現在のインティファーダがはじまる前も、彼や彼の家族は彼女に会いにガザに行くことはできなかった。行くためには、許可の申請が必要で、それを得るのは、申請するだけ無駄なぐらいに難しかった。いまでは、それはシンプルに不可能となった。

ジェリエスは、別れる前にアラビック・コーヒーを勧めた。それは、歓待を表現する儀式である。コーヒーをともに飲んだということは、互いを知り合った、あるいは 文化的な方法で出会ったということを意味する。

ホテルの庭のちょうど外で別れを言うときにジェリエスは手を振って、ガザの人々に忘れずによろしく伝えて下さい、と言った。

B.サーメド


→英語原文



エルサレムの壮厳な岩のドーム。
2001年7月20日、ハンユニス

美しいエルサレムホテルの庭にて。標識には日本語で「世界人類が平和でありますように」とある。

エルサレムのシェイク・ジャラにあるホテルの駐車場。
2001年7月19日、エルサレム


栄光あるエルサレムの赤いバラ
2001年7月19日、エルサレム

似たような家はひとつとしてない。旧市街の外で見かけた、ひとつのエルサレムスタイル。

エルサレムの旧市街にある居住区の通り。
2001年7月20日、エルサレム

エルサレムの暑い夏の日の昼下がり。
2001年7月19日


エルサレムの透明なひととき。
2001年7月19日






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