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ガザ:何万もの人々がイスラエル空爆虐殺の犠牲者15人の死を悼む
2002年7月23日(火)


今日、ガザ市とその他のパレスチナの人々は15人の犠牲者の死を悼んだ。犠牲者の内6人は同じ家族の者であった。イスラエルのF16機は昨日、ガザ市の集住地区の一つを突然、激しく攻撃した。この攻撃はガザに対する最大級の殺人的で残虐な空爆だったと言えるだろう。パレスチナの救急部隊は今もなお、莫大な数の死傷者に対する対応に追われている。数十名の負傷者は依然として予断を許さない状態だ。ガザの主要な病院であるシファ病院は、他の地区の医師たちに多数の負傷者のための緊急の援助を要請した。

ガザの人々は今なおショックで全く信じがたいという状態にあり、何万という人々が街路に出て、悲しみと怒りに溢れる大規模な葬儀に姿を見せた。午後3時には、ガザのほぼ全ての人口が悲しみに張りつめた葬列に参加できるよう交通は中断された。

傍らにいた多数の人々の涙をさそい、記憶している限り永遠に思い起こされるであろう一つのイメージがある。一人の大人の男が他の人の肩に乗せられ、わずか2ヶ月の甥っ子アイマンの遺体を抱える姿。

叔父は人々の群れの間を男たちの肩に乗せられ運ばれていた。髭のはえた顔は流れ落ちる涙に覆われ、苦悶の痛々しい表情を見せている。彼は死んだ赤ん坊を自分の手に取り、腕を高く突き上げ、まるで天に届けようとするかのように赤ん坊を空に向けて突き出した。この行為が続けられなくなった叔父は、程なくして甥っ子をひざの上に降ろして、ついに頭を小さくはかなげな赤ん坊の遺体に置き、新たにわっと泣き出してしまった。

デモ隊の女性が叫んだ。「私たちはアメリカ人に聞きたい。一体誰がテロリストなのか?殺され、眠りについた子どもたちがそうだとでも言うの?」

またある男性はこう述べた。「我々はこの犯罪を絶対に許すことはできない。パレスチナ人に安全がないのなら、イスラエル人が安全を得る日は決してこない」。

さらに、パレスチナの老人は次のように述べた。「この犯罪によって、イスラエルは状況を沈静化させる可能性をすべて閉じてしまった。イスラエルは復讐と暴力の連鎖への扉を大きく開いてしまったのだ」。

パレスチナ人コメンテーターは報道関係者に、シャロンは事実上「自爆攻撃の新たな波の始まりを認めてしまったことになる」と告げた。

アラブのメディア情報源によれば、全てのパレスチナ人とイスラーム勢力が目下の戦闘状況を沈静化しようと決定したまさにその時に、シャロンとイスラエルは安定をもたらす機会をすべて破壊してしまった、とパレスチナの役人が述べたとのことである。

実際、幾つかのアラブのメディアソースは、7月22日にハマスの指導者ヤシン氏がイスラエルに交渉を申し出る声明を公表したと伝えている。有名なアル=ジャジーラ・ニュースネットワークはヤシン氏とハマスの指導者3人に対するインタビューをヤシン氏の自宅で行っていた。インタビューで全員が一致していたのは、イスラエルが西岸とガザの占領を止めれば、ハマスはイスラエル内での活動を停止するということだった。多くのパレスチナ人は今日、この交渉の申し出と状況の沈静化に向けての最近の努力についてふれ、シャロンは本質的に和平に反対しているのだと述べていた。

サウジアラビアの外相はカイロへの公式訪問中に次のような声明を公表した。「シャロンは歴史に残る彼の犯罪の新たな章を開いた。シャロンは家で安らかに眠っている民間人に対し巨大な破壊兵器を送り込んだのだ。いかなる道徳的、軍事的理由もこの醜い犯罪を正当化することはできない」。

B.サーメド
2002年7月23日
ガザ、パレスチナ


→英語原文












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