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家屋破壊の話
2004年6月9日(水)


「自分の家を失うことは、身寄りがなくなることだ。私にとって、家とは人生であり、安全であり安定を意味している。私の家は祖国だった。」ハッサン・エムラン・アショール(Hassan Emran Ashor)氏52歳は、赤十字から支給されたテントの中でこう話した。彼の家は、イスラエル軍が2004年5月11日にザイトゥーン(Zeitoun)近隣地区へ行った、大規模な軍事侵攻で破壊された。彼のテントは、押し潰された家の傍に張られていた。「しかし、家を失うことは、自分の土地を去るということか?いや、違うだろう。私の土地が存在し、私が生きている限り、私は自分の家を再建するし、もし私ができなくても、私の息子が再建してくれるだろう。」と、アショール氏は時に怒りをにじませながら苦々しい様子で語った。

ザイトゥーン近隣地区への48時間に渡る猛攻撃で、8名のパレスチナ人が殺害され、110名が負傷し、サラー・エッディン通り(Salah Eddin Street)にある13戸以上の家が破壊された。

また、道端に仕掛けられた爆弾で武装車両が吹き飛ばされ、6人のイスラエル兵が殺害された。パレスチナ人武装グループは、この爆撃で殺害されたイスラエル兵の遺体の一部を獲得し、取引きの手段にした。つまり、イスラミック・ジハードはエジプトを仲介して、遺体の一部を引き渡す代わりに、イスラエル軍を近隣地域から撤退させたのである。

アショール氏は3歳から27歳まで14人の子供の父親であり、2人の女性と結婚している。彼の家は5階建てのアパートだ。敷地は120坪(420u)あり、敷地内に各60坪(210u)ある9つの貸間がある。1階には6つの倉庫と部屋があり、彼は新しい妻と一階に住んでいる。彼の前妻は13人の息子と別の部屋に住んでおり、23歳の息子ムハンマド(Mohammad)は別の部屋で妻と暮らしている。4つ目の部屋には彼の22歳の甥、ハッサン・アショール(Hassan Ashor)が住んでいて、彼はイスラミック大学で工学を勉強している。ハッサンの父親や家族はエミレーツにいる。

「この家を建てるのに45万ドル以上もかかった。それは私が35年間、7人の兄弟で外国で働いた苦労の結実だ。これを取り返すためにはまた35年間働かなければならない。それほどの大金だ。」と彼は言った。アショールの7人の兄弟は現在カタールに住んでおり、兄弟の数人は農場で働き、他は企業で働いている。ハッサンは以前、カタールで農業省の保全部門監督として働いていたが、1994年6月21日にガザへ戻った時には、タクシー運転手の仕事しかなかった。

「あの日、私は真夜中に、アラビア語で呼ぶ声を聞いた。『ハッサン!戸を開けろ!』一瞬、私は彼がイスラエル兵だということが分からなかった。ドアへ向かったが、開ける前にヘブライ語で話す人々の声が聞こえ、イスラエル兵だと気づいた。私は引き返したが、すぐ後に彼らは爆弾で戸を吹き飛ばした。」アショールは言った。イスラエル軍はアショールの4人の息子たちと甥を逮捕し、軍事作戦の間中、彼の家を占拠した。「彼らは息子たちに手錠と目隠しをして、足や銃で殴った。」と彼は言った。「最初の晩、あたりは火の海となり、銃撃は絶え間なく続き、戦車や軍用車両の這いずり回る音がしていた。時にブルドーザが私の家を崩そうとした。」と彼は付け加えた。

「次の日の夜9時に、一人の兵士が私に言った。『家から出て行け』私はなぜだと答えた。『家を壊すからだ』と彼は言った。「どうやって壊すっていうんだ?」と私は答えた。『我々が家に爆弾を仕掛けて爆発させるんだ』と彼が言った。そして『10数えるうちに家から出て行け』といった。そこで私は「お前たちと話している間に1から20まで数えられるよ」と答えた。彼は『持ち物を持って、出て行け』と言うので、私は子供たちを見渡して、「子供たちが私のすべてだ」と言った。子供たちは裸足だったので、兵士たちが靴を持って来いと言い、妻が戸棚へ靴を取りに行こうとすると、兵士は『とまれ!戸棚を開けるんじゃない!爆弾を仕掛けてあるんだ』といった。家族と外に出たが、そこは以前と同じ近所だとは思えなかった。跡形もなく完全にすべてが破壊されていたのだ。電柱はなぎ倒され、木々は引き裂かれている。車は引っ繰り返っているし、あたり一面砂山、穴ぼこだらけだった。」

アショールはサラ・エディン通りを家族と歩いて立ち去り、近所の家に数時間避難した。「真夜中になると、巨大な爆発音が聞こえ、建物がまるで地震のように揺れ、窓ガラスやドアまでもが壊れてしまった。炎が吹き上がり、私は私たちの家が爆破されたと分かった。」

爆発の後、アショールは近所の家を出て自分の家へ向かった。イスラエル軍はすでに立ち去っていた。彼は荒廃した家のそばを通り、息子や甥たちがどこにいるのか探した。同夜、アショールは息子たちをみつけた。息子のうち2人は近所の家にいて、他の2人は病院にいた。甥のアメル(Amer)は逮捕されていた。

「彼らがアメルを逮捕したことはとてもショックだ。アメルはいずれの政治団体にも所属していなかった。彼は自分の勉強のことだけを考えていたのに。」とアショールは言った。

アショールは家を立ち退いてから10日間ほど、破壊された家の前に立てた3つのテントに家族と住んでいた。しかしその後、ガザ自治区の長官が、2つのアパートを借り、賃金も払うと言った。自治長官はまた、彼の家の再建を約束し、すぐに再建すると約束してくれたとアショルは言っている。

「我々は今、パレスチナ自治政府から受け取った3千ドルで暮らしているが、この金がなくなったら、どうなるかまったく分からない。」と彼は言った。そして、「まるで私は、海の真ん中で溺れて、助かるために死に物狂いで一握りの泥をつかんでいる人間のようだ」と付け加えた。

そして、あごひげを蓄えた男が、長いタバコの一服の間に短い一息を付きながらこう言った。「私が家を失った者へ『神のご加護がありますように』と言う時、彼らをかわいそうに思うが、本当の気持ちは自分が家を破壊されなきゃ分からないもんだ。私は今、彼らに対して哀悼の気持ちを表しても、何の役にも立たないし、同情の気持ちだって何の意味もないと感じている。」

マフムード・ハブーシュ
ガザ市(2004年6月9日)

→英語原文





このビルの所有者は、湾岸で40年間働いて、この建物を手に入れた。イスラエルの装甲兵員輸送車がこの建物の前で爆破されたため、イスラエル軍は、撤退間際になって、この建物を爆破した。住民は、なぜこの建物が破壊されたのか知らない。(撮影・安藤直美)





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