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イスラエルの瀬戸際政策がこの地域に大惨事を招こうとしている
2002年3月30日(土)


ガザ市:パレスチナにおける諸々の出来事によって、とんでもなく劇的で暴力的な日として今日の日は記憶される。

  3月30日、土曜日。イスラエルの戦車がアラファトの議長府に近づいたとき、被占領地のすべてのパレスチナ人はグリーンラインの内側のパレスチナ人(48年の占領地に暮らすパレスチナ人)とともに、街頭に繰り出し、ストライキを宣言し、封鎖されているパレスチナ議長への支持と共感を声を大にして表明した。

 パレスチナのメディアによると、何千人もの抗議者がガザの街頭に繰り出し、アラファト大統領を支持するスローガンを声を一つにして繰り返した。アラブのメディア・ネットワークは、西岸のラマッラーにおける大統領府における包囲と爆撃を刻一刻、生中継した。ラマッラーからのニュースによると、イスラエル軍の戦車が市域を完全に占領した。そして、30台以上の戦車がアラファトと数人の護衛を取り囲んでいるという。夕方には、アパッチヘリコプターが、アラファトがいる部屋から数メートルしか離れていない区画にミサイルを撃ち込んだ。アラブで最も大きく、影響力のあるテレビ局、アル・ジャジーラは、イスラエルの戦車が大統領府の建物の窓に銃機関銃を発射するのを生中継した。ガザ市のパレスチナ人達は、次々と流される緊急速報に聞き入って、テレビのニュースに釘付けだった。

 テレビカメラを通じて、アラファト大統領は、米国製の兵器に支えられたイスラエルの残忍な攻撃のなかで、パレスチナ人達に不撤退を訴えるメッセージを送った。さらに、彼は、「彼ら(イスラエル人)は私を投獄するか、追放するか、殺したがっている。しかし、私は彼らに言う。私は我々の聖なる地に身を捧げる殉教者になるだろう」。

 この、声明は、彼の深くゆっくりとした、しかし自信に満ちた声で、アラブ世界における様々なメディアネットワークによって、テレビで何度も何度も繰り返し放映されたため、あっという間に有名になった。アラファトの言葉は明らかに何百万人のパレスチナ人とアラブ人の琴線に深く触れた。アラファトはこの瞬間、パレスチナとアラブ・イスラム世界の双方において、何百万人もの共感者と賞賛者を急速に獲得している。エジプトのある有名なテレビタレントは、戦争犯罪者シャロンによって、アラファトが殺されないよう、アラブ諸国の指導者達に向けて雄弁なアラビア語で訴えかけた。

 ガザの街頭は、当然のごとく、アラファトの生命を危うくするイスラエルの行動と、パレスチナ国家全体及びその大統領への様々な挑発や侮辱に対して、憤慨し、抗議する人々で埋めつくされた。集会での一人の発言者、PLO中央委員会のメンバーであるザカリア・アル・アガ氏は、「もし、シャロンがすべての赤線を越えて我々に宣戦布告をするのであれば、我々はシャロンと彼の占領軍の指揮官達に対する無制限・無期限の戦争で応えるということを彼とイスラエルに告げる」と言った。

 また、もう一人の発言者である、国務長官のアル・タイブ・アベド・ラヒーム氏は彼のシャロンに対する怒りをぶちまけた。「パレスチナ民衆は絶対に降伏しない。我々は占領を終わらせるという正当な理由のために闘っている。アラファトは我々の大統領であり、パレスチナ人の闘争の象徴だ。我々はアブ・アマル(アラファト)とともにある。我々は最後の一人まであなたとともにある。我々は皆殉教者である。我々はこのひどい占領を終わらせる」。

 群衆は歓声をあげ、熱狂的に拍手をした。何千人ものデモ参加者が声を一つにして、「何百万人の殉教者を出しても、我々はエルサレムに向かって行進し続ける」と、スローガンを繰り返した。

 地元のイスラム大学の学生である、一人の若いデモ参加者は、パレスチナ民衆とその大統領に対するイスラエルの継続的な攻撃に対して、強く非難した。

 彼は「我々は、大統領に対する危険な包囲を解き、シャロンの無謀で邪悪なテロ行為を止めさせるよう、世界に強く訴えます」と言った。占領こそが本当のテロです。シャロンは私達の民族に対して戦争犯罪を犯しています。私達は、彼(シャロン)が、ブッシュから、ラマッラーへの軍事侵攻を実行し、アラファトの頭に銃を突付けてもよいという、承認を得たということを知っている。世界は、イスラエルとアメリカがパレスチナ人に対するさらなる戦争犯罪と虐殺を犯す前に、シャロンとブッシュのテロを止めさせなければならない。

2002年3月30日
ガザ市

訳註)サーメドさんは、これまでのレポートでも、ヤセル・アラファト氏の肩書きを大統領(president)としていたのですが、日本のマスメディアでは議長という表現が一般的(海外のメディアでは、palestinian leaderかchairpersonが一般的)なので、議長と訳してました。が、今の状況のなかで、イヤスさんや多くのパレスチナ人がアラファトの肩書きとして、独立した共和国の元首の呼称であるpresidentを使っているのは、これは単なる表現上の問題ではない、と考え直し、今回からは、直訳の大統領という訳を使うことにしました。


B.サーメド


→英語原文



ガザのデモに参加する父子
2002年3月30日



デモに参加して抵抗の意志を示すパレスチナの少年
2002年3月30日

ガザのアラファト官邸前で行われたデモで人々に向かって話す指導者達
2002年3月30日

他のアラブ諸国に向けて生中継を続ける、多数のアラブ・メディア
2002年3月30日

アラファトへの支持を訴えるガザのパレスチナ人

シャロンとブッシュの風刺ポスターを見せるパレスチナ人
2002年3月30日

アラファトとパレスチナに対するイスラエルの戦争に怒りの声をあげる


「悪に抵抗せず容認することは、悪に加担することと同じである」。デモに参加するパレスチナ人の若者達
ガザ





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