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アンワアの物語            2002年5月27日(月)


わずか12歳。アンワアは3日前に期末試験を終えたところだった。ガザ地区、アル=ブレイジに住むアンワア・アブー・サイードは、第7学年の期末試験を終えると、叔母さんを訪ね、夏休みの始まりを祝うことにした。

叔母のカムラはアル=ブレイジから数キロメートル北部にある小さな村で暮らす。イスラエルとの国境からはそう遠くない場所だ。

この数ヶ月間、パレスチナ民間人全体に対する集団への罰として、イスラエルの戦車による農村地域への軍事侵攻が繰り返され、野や木々、そして住居が破壊された。

アンワアは叔母の家に到着し、叔母のカムラと共に、羊の群れを連れ出して牧草を食ませ、ガザの小村ジュフル・アル=デイクを取り巻く美しい緑の中を逍遥した。12歳のアンワアは、これを夏休み最初の計画としたことからわかるように、この訪問を心待ちにしていたのだった。

数時間後、2人が歩いていると、戦車の爆撃音が聞えてきた。イスラエルの戦車が農場に侵入し、一帯はジープと兵士に取り囲まれてしまった。アンワアとカムラは麦畑のなかに身を隠そうとした。

しかし、戦車は、二人が隠れている麦畑を含め、あらゆる方向に砲撃をし続けた。砲弾の破片が2人を襲う。アンワアと叔母は即死だった。

そして突然、野原が火に包まれた。数分の間に、野原全体が燃え盛る炎と化した。2人の遺体は焼き尽くされてしまったのだった。

その後、焼け焦げた遺体は、ガザから15キロ南に位置するデイル・アル=バラーの病院に運び込まれた。アンワアと叔母さんの悲しい知らせを聞き、多くの人々が駆けつけた。彼女たちの死は村の共同体に深い悲しみをもたらした。

ある青年がこう述べた。「イスラエル軍は罪の無い少女と女性を殺した。軍は調査を行なうと言っている。でも、何にもならないよ。調査したからといって、アンワアとカムラはかえってこないのだから」。

およそ2か月前、同じ場所で、イスラエルの戦車は母親と彼女の5人の子どもたちをめがけて火を吹いた。彼女たちは、ガザ地区アル=ブレイジのアル=アワウダと呼ばれる一家の者だった。

母と子どもたちはロバの荷車に乗って帰宅する途中だった。イスラエルの戦車から放たれた一発の砲弾が、母と子どもたち4人の命を奪い、残る1人だけが無事であった。

その翌日、助かった少年の姿がパレスチナの主要紙の一面に掲載された。母親と4人の兄弟姉妹たちの遺体を前に跪く姿。何百万もの人々がこの悲劇を知り、心を痛め、悲しみに打ちひしがれたのだった。

イスラエル軍は依然として、パレスチナ占領地全域で侵攻と爆撃を繰り返している。西岸、ガザ地区双方の村落や町では、日々、こうしたパレスチナ非武装民間人に対するイスラエルの残虐行為と侵略の話は後を絶たない。

ガザ
2002年5月27日
B.サメド

→英語原文












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