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老漁師の困難な時代と運命        2002年5月30日(木)


年老いた漁師が小さなテーブルの向いに座っている。煙草をふかし、悲しげな目で青い海を見つめている。60歳の漁師エイド・アブー・ハシラは、ガザ港のカフェにこもり、なすすべなく腰を降ろし、待機している。こうし始めて、数週間。イスラエルが漁に出るのを禁じているのだ。アフラン・ワ・サフラン。エイドはようこそ、とアラビア語で言い、親切に椅子を引いて、愛想よく私たちをテーブルに迎えてくれた。「私の家族はここガザで、数世紀にわたり、漁師の一族として名を知られている」。エイドは誇り高くそう述べた。続けて、青く美しい地中海を指して言う。「曾々々じいさんの時代から、私の一族はこの海を愛し、ずっと海の恵みによって暮らしを立ててきたのだよ」。そう言うと、老人は言葉を切り、深いため息をついた。「今ほど辛く、困難な時はなかった。イスラエルの占領下で初めて、仕事がほとんどできない状態になった。海に出るとイスラエルの小砲艦が、私たちを撃ち、襲い、捕らえようとする」。

ガザ地区では総計3000人の漁師が、723艘の漁船で海に出ている。オスロ合意によって、パレスチナの漁師は20海里内での漁が許されている。しかし実際のところ、イスラエル軍の巡視船は、パレスチナの船が12海里以上進むことを認めていない。多くの場合、たったの3海里までしか、行けない。それ以進むことは、すなわち、撃たれるということを意味する。パレスチナ農業省の役人によれば、パレスチナ人に許された漁業領域は、延べ660平方キロだという。これはごくわずかな漁業領域にしかならない、とのことだ。

漁師のアブー・ハシラには、海でのイスラエル軍による不当な仕打ちについて、語るべきことが多くある。イスラエル小砲艦によって私たちが被った困難は、余り知られてない、とエイドは言う。「最近起こった話をさせてくれないかな。ある日、私はイスラエル当局からたったの1.5海里内で漁をする許可を得た。今年の2月14日のことだ。木曜日で、午前10時ちょうどだったと記憶してる。突然、イスラエルの巡視船が私たちの前に現れ、海から網を引け、と言う。次に、漁師全員、一艘の船に集まるよう言われた。私たちは11人。イスラエルは3人を逮捕した。その内2人は私の息子だ」。ここでエイドは一旦言葉を切り、そしてこう述べた。「さっきも言ったが、私たちは漁師の一族だ。あの日、3人の息子と一緒に海に出てたんだ」。彼は話を続ける。「イスラエルの小砲艦は、2人の息子、カメルとアデルを捕まえた。兵士たちは逮捕した3人を目隠しし、奴らの大きな船に連れていった。3番目の息子タラルは、2人の兄がそうやって連行されるのを見ていた。それで、突然タラルは漁船に飛び乗り、浜の方へと逃げて行った」。「イスラエルの小砲艦は、小さな漁船で逃げる息子めがけて撃ちまくった。タラルはなんとか浜に辿り着き、船から飛び降り、助けを求めて走った」。

ガザ地区の漁村では、どの漁師も海で直面したイスラエルの恐怖を語る。イスラエル軍の砲艦は仕事中の漁師めがけて撃ってくる。それに加え、兵士は漁業網を取り上げ、ガザから70キロ北にあるアシュドッドのようなイスラエルの港に漁船を曳航していき、漁師を投獄し、罰金を科す。時には、以前ガザ南部のラファであったように、軍の船が浜辺を襲撃することもある。ラファでは、兵士が漁船のエンジンと網を押収し、漁師を逮捕してパレスチナ沿岸警察署の情報を聞き出そうとしたのだった。この9か月間、イスラエル当局はガザ地区南部の漁を完全に禁止している。また、漁繁期には、イスラエルの小砲艦が海を取り囲む。これは私たちの生活手段をぶち壊す行為だ、と、ある漁師が述べていた。

2人の息子、カメルとアデルは逮捕され、アシュドッドというイスラエルの港に連行された。息子たちは投獄され、6日後、軍事裁判所に出廷させられた、と父のエイドが述べる。イスラエルの裁判所は息子たちを武器密輸の罪で告訴した。判決は迅速に出され、漁船エンジンの押収と250シェケル(約60ドル)の罰金を命じ、最終的には今後漁船での漁を禁じるものであった。

裁判所の告訴は嘘だ、まったくのでたらめだ、と父親は強調する。「今や私はすべてを失ってしまった。これからどうなってしまうのか、わからない」。「この7ヶ月、収入はゼロ。ほとんどの漁師も同じ様なもんだ。イスラエルの小砲艦はどこに魚がいるか知ってる。だが、私たちがその格好の場所に行くことを禁じてるのさ」。彼はこう付け加える。「今はいわし漁の季節だ。しかし、イスラエルは漁を禁じる。奴らはいつだって治安を言い訳にする」。

インティファーダが始まって以来、パレスチナの漁師は収入の大半を失ってしまった。パレスチナの公式な情報源によると、1999年の漁業水揚げ高(3650トン)は1100万ドルであった。しかし2000年には2623トンにまで減少し、わずか900万ドルとなった。2001年についてはさらにひどい。1950トンに落ち込み、たった600万ドルにまでなってしまった。

パレスチナ農業省の役人によれば、漁師の家族はたいてい大家族であり、多くの漁師が雇用機会と収入を失いつつあり、その結果、家族内の被扶養者たちにとっても多大な困難が生じてしまう、とのことである。

年老いた漁師、エイド・アブー・ハシラはそれでも断固として漁を続けるつもりだ。「別の船を買わなければ。それには1万ドルかかるな」。

エイドは前かがみになった。彼の声は穏やかだが、深刻さを帯びている。ガザの家族の何百年にもわたる伝統への自負を顔に浮かべ、述べる。「漁師は家業だ。他に代わるものは、ない」。

ガザ、2002年5月30日
B.サメド


→英語原文












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